【瀬戸瀬温泉】 - 自分一番のお気に入りの湯
- 2014/07/26
- 14:06
北見方面で所要があったので、帰りに瀬戸瀬温泉に寄ってきた。遠軽町というところにある。自分はこの瀬戸瀬温泉が温泉の中で一番のお気に入りである。ある意味、どうといったことの無い温泉である。山奥のひなびた温泉である。宿の建物は昭和のレトロを感じさせるという言い方もできるが、古びたという言い方も出来る。自然豊かな原生林に囲まれたとも言えるが、虫だらけだとも言える。湯質が良いかと問われれば、悪くは無いとい...
『あざみの歌』と『赤色エレジー』 - 『赤色エレジー』は盗作か?
- 2014/07/23
- 12:49

玄関脇にアザミが咲いた。植えたわけでもないのに、勝手に咲いた。我家の庭は半分野生のままである。 アザミといえば『あざみの歌』という曲があり、これが自分は結構お気に入りである。抒情的で美しい。古臭いと思う人も居るのかも知れないが、自分は好きである。カラオケで歌うこともある。横井弘作詞、八州秀章作曲である。自分が若い頃、これと似た曲で『赤色エレジー』という曲もあった。あがた森魚が作詞、作曲をしている...
【原発への武力攻撃に対する備え】 - 『美しい国、ニッポンを守るためには・・・』
- 2014/07/20
- 14:50
友人に北海道電力に勤務している人がいたので、泊原子力発電所の警備体制がどうなっているのかを聞いてみたことがあった。福島第一原子力発電所事故以前のことだったと思う。彼は泊原発での勤務経験もあった。マシンガンを携帯した警察官が常駐しているということであった。さらに、ミサイルとか飛行機といった空からの攻撃に対してはどうなっているのか聞いてみた。そうすると、彼はそれに対するものは何もない、と返答した。こ...
利休の遺偈(ゆいげ)の謎 - セラピストとしての利休
- 2014/07/13
- 23:09

織田信長の死後、豊臣秀吉は千利休を筆頭茶頭として登用した。それが、どうしたわけか利休は秀吉に切腹を命じられ、命を落すことになる。どこでどう歯車が狂ったのか?そこら辺の経緯をさぐってみたいと思う。 まずは切腹における利休の遺偈(ゆいげ)。遺偈とは、禅僧が死ぬまぎわにその境地を詩や歌の形で遺したものだそうである。人生七十 力囲希咄 じんせいしちじゅう りきいきとつ 吾這寶剱...
【わび茶の原点】 - 『禅か?商か?芸か?』
- 2014/07/10
- 22:45
最近緑茶をよく飲む。この頃のインスタント緑茶は粉末になっていて抹茶のようである。それを空いたペットボトルに好みの量を放り込んで、水やぬるま湯を入れシェイクする。時には青汁の粉末もブレンドしたりする。これがこの夏のマイブームとなっている。 最初茶は遣唐使により日本にもたらされたようだが、この時は根付かずに廃れてしまう。そして改めて茶は禅宗とともに日本に伝来する。1191年、臨済宗の開祖となる栄西が、宋...
【原発に思う】 - 『わたしが一番きれいだったとき』
- 2014/07/08
- 10:21
わたしが一番きれいだったとき街々はがらがらと崩れていってとんでもないところから青空なんかが見えたりしたわたしが一番きれいだったときまわりの人達が沢山死んだ工場で 海で 名もない島でわたしはおしゃれのきっかけを落としてしまったわたしが一番きれいだったとき誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった男たちは挙手の礼しか知らなくてきれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていったわたしが一番きれいだったときわたし...
【ソーラン節とユダヤ】 - 『ニシンとハタハタをめぐって』
- 2014/07/03
- 21:56

小学生の頃、古老から地元の歴史を教わるという授業があった。一人のおじいさんがやって来て、地元の昔の話をしてくれた。その中でニシン漁の話があった。春になるとニシンで海が盛り上がり、浅瀬一面が真っ白になったという。雌が海草に卵を産み付け、それに雄が群れで放精するために海が白くなるのだそうだ。群来(くき)という。自分の生まれは、渡島半島の東側に位置する内浦湾に面していた。日本海には面していない。それ...
【鶴亀算を解く様々な方法 】- 『芸事としての和算』
- 2014/07/01
- 07:16

かつて江戸時代の日本には、『遊歴算家』という人がいたようである。この人達は、旅で転々としながら、各地の有力者などに数学を教えるのを職業にしていた。なぜこんな物が職業になるかというと、実は江戸時代数学は『芸事』の一つだった。碁や将棋、俳句やお茶、お花と同じように『芸事』だった。ちょっと意外である。各地を旅して稼ぐ先生だけではなく、勿論教室を構えて教える先生もいた。日本では伝統的に芸事に身分はなかっ...