【孝明天皇暗殺説をめぐって】 - 『ウィルスとハブの毒』
- 2014/10/31
- 18:47

孝明天皇の崩御については、以前一度書いた。その後、新たに考えたこともあったのでもう一度書いてみる。孝明天皇は江戸時代最終期の天皇である。明治天皇の父親となる。概ね、ペリーの黒船来航から、第二長州征討で幕府軍が敗退し、徳川慶喜が将軍となるまでの期間が在位となる。激しい動乱の時代の中での突然の崩御だったので、当時から暗殺説が囁かれていた。実は私も孝明天皇は暗殺されたと考えている。天皇の暗...
『心理学から見た江戸無血開城の謎』 - 『徳川慶喜の病理』
- 2014/10/27
- 20:26

徳川慶喜について考えてみた。この人を理解する事はとても難しい。つまり、この人物は様々な場面で様々な言動をとっているわけだが、それらの理由がいまいちはっきり分からない。人の記憶に強く残っているのは、大政奉還や江戸無血開城であろう。これは慶喜の出身母体である水戸藩の水戸学イデオロギーに基づく勤王思想や、内戦、敗戦を避けようとした事に原因を求めるのが一般的である。しかし本当にそうであろうか? ...
『島津斉彬暗殺説をめぐって』 - 【幕末の底流】
- 2014/10/23
- 20:43
薩摩藩は幕末から明治維新にかけ、キーマン的な役割を果たした。幕府側に付けば『蛤御門の変』で長州を打ち破り、薩長同盟にて長州に付けば『鳥羽伏見の戦い』では幕府軍を打ち破り、続く『戊辰戦争』で新政府軍を勝利に導いて明治政府を樹立させている。実際これらの戦闘を指図した藩のトップは島津久光だが、その基盤を作ったのは島津斉彬(なりあきら)である。島津久光は1862年1000人もの兵を率いて京都に上洛するが...
『坂本龍馬暗殺の謎』 - 【幕末の底流】
- 2014/10/16
- 22:43

坂本龍馬は現在の日本で近代史において恐らくNO1の人気を誇る人物であろう。脱藩素浪人の身でありながら、近代の日本史を大きく動かした。しかし龍馬という人は当時どのように人に思われていたかを考えてみた。果たして人望が厚かったのか?そもそもどういう人が尊敬されたのか?思うに、当時は義理というものが行動の規範として大切にされたであろう。つまり世話になった人の恩に服いるということである。それが、倫...
『アイヌは過去か?未来か?現在か?』 - 【自分の中のアイヌ】
- 2014/10/03
- 17:31
昨日は所要があって釧路まで行ってきた。所要の方はさっさと済ませて、阿寒のアイヌコタンまで足をのばした。アイヌコタンの樹々はかなり紅葉が進んでいて、札幌との違いにびっくりした。少し山に入るせいなんだろうか?雪虫も飛んでいた。アイヌコタンまで行ったのは、今アイヌをテーマにした小説を読み返していたせいもある。武田泰淳の『森と湖のまつり』である。40年ぶりくらいで読み返した。良く取材されてる小説だったん...