『古代オリエントと古代日本のつながり』Ⅲ -【ピラミッドの中の出雲大社】
- 2015/10/31
- 18:49

これはクフ王のピラミッドである。これには内部構造がある。そして王の間という空間がある。この王の間には石棺が置かれている。ここに死して太陽神ラーとなったファラオが祀られたのだろう。遺体は地下の間に安置されたのだろうと私は思う。従ってピラミッドというものは墳墓であり、同時に神殿なのだ。これが太陽神ラー像である。 頭に太陽をいだいている。そしてその太陽に蛇が従者のように巻きつい...
『古代オリエントと古代日本のつながり』Ⅱ-【出雲大社の原型であるジグラッド】②
- 2015/10/31
- 18:39

古代における日本とメソポタミアの意外なつながりだが、このようなところにも見てとれる。 左の土偶は『縄文の女神』と言われ、長野県茅野市米沢の棚畑(たなばたけ)遺跡から出土した。縄文中期のB.C.2,500年頃のものとされる。国宝である。中央と右の像はイシュタル(=イナンナ)というメソポタミアの女神である。勿論メソポタミアで発掘された。シュメール時代からの女神であるから、紀元前3,800年頃か...
『古代オリエントと古代日本のつながり』 - 【出雲大社の原型であるジグラッド】
- 2015/10/31
- 18:32

古代メソポタミアのジグラッドの復元図である。神殿である。こういった神殿が各国家都市に一つづつあったそうである。最終的には神殿となったが、恐らく初期においてはもっと実用的な目的があったとも言われている。それは洪水対策である。日本でも東日本大震災以降、各地で津波の際の避難所ということで多くのビルが指定されている。そういったものだったのだろう。メソポタミアはチグリス・ユーフラテス川の流域で...
『出雲大社の謎』Ⅱ - 【出雲大社を最初に造ったのは誰か?】
- 2015/10/22
- 22:09

1980年、鳥取県米子市の稲吉角田(いなよしすみた)遺跡からの多数の土器の破片が発見された。この遺跡は弥生時代中期後葉の紀元前1世紀頃のものとされた。その土器片を復元すると、口径約50cm、推定高120 cm以上の大きな壺となった。そしてその壺の口縁部から頸部にかけて6種類の線刻画が発見された。その絵も一部補正が施され復元された。その線刻画はこのようなものとなった。 この6種類の線刻画にaからfまで...
『出雲大社の謎』 - 【96mの社殿は可能か?】
- 2015/10/18
- 23:01

出雲大社である。 創建は神代(かみよ) と伝えられ、日本最古の神社の一つとされる。 主祭神の大国主命(おおくにぬしのみこと)は縁結びの神として有名である。 手前の大注連(しめ)縄がつるされているのが拝殿で、奥の屋根で交叉した千木(ちぎ)が見えるのが本殿である。 本殿は約24mの高さがある。 ここに御神体が安置されているとされる。 さて、出雲大社は今でもその壮大さを誇るが、古代は...
『エジプト・メソポタミアの日本への系譜』Ⅲ - 【蛇神は縄文オリジナルか?】
- 2015/10/15
- 21:58

正月になると、我家でも『鏡餅』を飾る。正月だといっても別にこれといった事はしないが、なぜかこれだけはしている。ところで『鏡餅』は何故【鏡】餅と言うのだろうか?頭にある【鏡】とは何だろう。別に鏡を一緒に飾るわけでもない。丸い鏡に似せるのなら、もっと薄くするだろう。なぜだろうか?実は『鏡餅』の原型はこれではないかと言われている。 三方にのった、とぐろを巻いた海蛇である。この形を模...
『エジプト・メソポタミアの日本への系譜』Ⅱ - 【御柱祭】
- 2015/10/10
- 17:28

諏訪大社の『御柱祭(おんばしらさい)』の画像である。6年おきにひらかれる。『木落とし』の場面である。山から切り出した直径1m、長さ17mものモミの木の原木丸太に乗り、傾斜35度にもなる坂を滑り降りる。私はスキーをするので、35度という斜度の感覚がある。画像ではたいした傾斜に見えないが、殆ど垂直と思える崖である。画像では丸太の前方に人が投げ出されている。この人が逃げ遅れれば、10tもの丸太に...
『エジプト・メソポタミアの日本への系譜』 - 【尖石遺跡】
- 2015/10/05
- 21:55

長野県茅野市にこのような石がある。これである。 道端のちょっと大きめな石ころである。別にどうといったこともない物のように思える。これは『尖石』と呼ばれて、昔から地元の人の信仰の対象だったそうである。なんでこんな石ころが信仰の対象だったのか不思議に思う。しかしこの『尖石』、ピラミッドのような形をしている。しかし、日本にピラミッドが紹介されたのは確か幕末である。幕府がヨーロッパに使節団を送...