【デルス・ウザーラ】 - 『アイヌへの文化の伝播』
- 2014/09/07
- 15:59
先日、礼文島でオホーツク文化に触れ、昔観た映画のことをを思い出した。
その映画の題名は『デルス・ウザーラ』といった。
黒沢明が監督をした日ソ合作映画だった。
1975年公開、自分が二十歳代前半であった。
同年のアカデミー賞 外国語映画賞を受賞している。
この映画はウラディミール・アルセーニエフという実在の人物が著した同名の探検記録に基づいている。
アルセーニエは旧ソ連の軍人で、ロシア極東地方の調査、地図作成にたずさわった。
旧ソ連の間宮林蔵のような人である。
そこで案内役を引き受けたのが、先住民のゴリド人(現ナナイ人)である『デルス・ウザーラ』であった。
デルスは家族を失い、一人森林で漁師として生きていた。
デルスはその調査隊の案内で超人的な洞察力を発揮する。
微かに残された動物や人の足跡から、また小鳥のなき声などから様々な情報を読み取る。
また動物のような鋭敏な臭覚をもっている。
まるで大自然界でのシャロックホームズのようで、わくわくドキドキされられた。
また、大自然の中で培われた、昔からの風習を引き継いでいた。
その中の一節。
【デルスが焚火の傍らに座って歌っている。
彼の姿の半分は焚火であかあかと照らされ、もう半分は、青い月の光に照らされて、まるで、赤いのと青いのと、二人の人間が座っているように見える。
アルセーニエフ、来て、その姿を見て立ち停まる。
デルスは傍らに斧と銃を置き、焚火の前に座って、手にしたナイフで木の小枝を胸で支えて、それをナイフで削りながら、静かに歌っている。
その歌は、単調で、憂鬱で、もの悲しい。
彼は、木を削りとるのではなく、削りかけては木に残しておくので、それは一ツ一ツまくれて、ちょうどサルタンの王冠のような形になる。
それを彼は右手に持ち、歌をやめて空間の何物かに、何か質問して、耳を傾けている。
緊張して耳を傾けているが、河の音意外には何も聞こえない。
すると彼は、右手に持った棒を火の中に投げ、小さな空缶をとり出し、瓶からウオトカを注ぎ、それに人さし指をひたして、四方の土にはじき飛ばす。
それから、タバコの葉やほした魚や肉、青い布、新しい中国の履物やマッチの箱などを火に投げ入れた。
そして、ふたたび何かを叫び、そして耳をすます。
どこかずうっと遠くで、夜の鳥の鳴く声が聞こえる。
アルセーニエフ、それを見て近づく。
その足音に、デスルは頭を上げて見る。
その眼は深い悲しみをたたえている。
アルセーニエフ、そのデルスと向かい合って座る。
沈黙・・・・。
デルス、話はじめる。
『カピタン!あすこ、わしの女房、子供、死んでる』
デルスは森を指さす。
そして、火を見つめて、ぽつんと言う。
『・・・・・天然痘・・・・・』
デルスは深く頭を垂れる。
『村の人、天然痘、怖い。女房、子供、小屋一緒に燃やした!』
アルセーニエフ、慄然として、慰める言葉もなく、ただデルスを見つめる。
デルス『わし、昨夜、悪い、夢、見た。
こわれた、小屋、その中に、女房、子供、。
みんな、凍え、食べ物、ない。
だから、わし、ここ、来た。
みんな、やった』
月の光だけが、アニセーニエフとデルスを青く照らす・・・・・・・。】
悲しい場面である。
ここで自分が注目したのが、デルスの祈りの所作である。
なんとアイヌの祈りの儀式である『カムイノミ』と似ていることであろうか!
デルスがナイフで造る、削り屑を付けたままの小枝。
これはアイヌの『イナウ』そっくりである。
そして、ウオトカを四方にはじき飛ばす所作。
アイヌはこれを木製のヘラである『イクパスイ』でおこなう。
歌うように祝詞を唱えながら。
ナナイ人であるデルスはハツングース系である。
アイヌがツングース系の民族から大きな文化的影響を受けたことは、ここからも分かる。
またナナイ人は魚肉を日本人と同じように生で食べる習慣をもつ、数少ない民族でもある。
さらにこれは映画の場面にはないが、原作にはスキーの場面もえがかれている。
アルセーニエフはツングース系のウデヘ人とビキン川の近でイノシシ狩をする。
ビキン川はウスリー川へ注ぎ、そのウスリー川はアムール川につながりオホーツク海へ流れ込む。
その際、ウデヘ人はスキーを使用したという。
他の文献によると、スキーの滑走面には鹿の皮がはられるようだ。
スキーでイノシシを負い回し、疲れて動きが鈍くなったところを槍で仕留めるのだ、
1907年のことのようだ。
以前、大阪外国語大学教授だった松下唯夫という方の、トゥバ族の滑走面に動物の皮をはったスキーについての調査を御案内したことがあった。
トゥバ族はテュルク系ではあるが、スキーにおけるつながりに興味がわく。
かつてバイカル湖周辺からシベリア極東まで数千Kmにわたる、広大な文化圏が存在したのだろうか?
そして、それはアイヌへつながるのか?
礼文島で偶然見た、マッコウクジラの歯で造られた一個の小さな女性像が、40年前に観た映画に自分をいざなってくれた。
その映画の題名は『デルス・ウザーラ』といった。
黒沢明が監督をした日ソ合作映画だった。
1975年公開、自分が二十歳代前半であった。
同年のアカデミー賞 外国語映画賞を受賞している。
この映画はウラディミール・アルセーニエフという実在の人物が著した同名の探検記録に基づいている。
アルセーニエは旧ソ連の軍人で、ロシア極東地方の調査、地図作成にたずさわった。
旧ソ連の間宮林蔵のような人である。
そこで案内役を引き受けたのが、先住民のゴリド人(現ナナイ人)である『デルス・ウザーラ』であった。
デルスは家族を失い、一人森林で漁師として生きていた。
デルスはその調査隊の案内で超人的な洞察力を発揮する。
微かに残された動物や人の足跡から、また小鳥のなき声などから様々な情報を読み取る。
また動物のような鋭敏な臭覚をもっている。
まるで大自然界でのシャロックホームズのようで、わくわくドキドキされられた。
また、大自然の中で培われた、昔からの風習を引き継いでいた。
その中の一節。
【デルスが焚火の傍らに座って歌っている。
彼の姿の半分は焚火であかあかと照らされ、もう半分は、青い月の光に照らされて、まるで、赤いのと青いのと、二人の人間が座っているように見える。
アルセーニエフ、来て、その姿を見て立ち停まる。
デルスは傍らに斧と銃を置き、焚火の前に座って、手にしたナイフで木の小枝を胸で支えて、それをナイフで削りながら、静かに歌っている。
その歌は、単調で、憂鬱で、もの悲しい。
彼は、木を削りとるのではなく、削りかけては木に残しておくので、それは一ツ一ツまくれて、ちょうどサルタンの王冠のような形になる。
それを彼は右手に持ち、歌をやめて空間の何物かに、何か質問して、耳を傾けている。
緊張して耳を傾けているが、河の音意外には何も聞こえない。
すると彼は、右手に持った棒を火の中に投げ、小さな空缶をとり出し、瓶からウオトカを注ぎ、それに人さし指をひたして、四方の土にはじき飛ばす。
それから、タバコの葉やほした魚や肉、青い布、新しい中国の履物やマッチの箱などを火に投げ入れた。
そして、ふたたび何かを叫び、そして耳をすます。
どこかずうっと遠くで、夜の鳥の鳴く声が聞こえる。
アルセーニエフ、それを見て近づく。
その足音に、デスルは頭を上げて見る。
その眼は深い悲しみをたたえている。
アルセーニエフ、そのデルスと向かい合って座る。
沈黙・・・・。
デルス、話はじめる。
『カピタン!あすこ、わしの女房、子供、死んでる』
デルスは森を指さす。
そして、火を見つめて、ぽつんと言う。
『・・・・・天然痘・・・・・』
デルスは深く頭を垂れる。
『村の人、天然痘、怖い。女房、子供、小屋一緒に燃やした!』
アルセーニエフ、慄然として、慰める言葉もなく、ただデルスを見つめる。
デルス『わし、昨夜、悪い、夢、見た。
こわれた、小屋、その中に、女房、子供、。
みんな、凍え、食べ物、ない。
だから、わし、ここ、来た。
みんな、やった』
月の光だけが、アニセーニエフとデルスを青く照らす・・・・・・・。】
悲しい場面である。
ここで自分が注目したのが、デルスの祈りの所作である。
なんとアイヌの祈りの儀式である『カムイノミ』と似ていることであろうか!
デルスがナイフで造る、削り屑を付けたままの小枝。
これはアイヌの『イナウ』そっくりである。
そして、ウオトカを四方にはじき飛ばす所作。
アイヌはこれを木製のヘラである『イクパスイ』でおこなう。
歌うように祝詞を唱えながら。
ナナイ人であるデルスはハツングース系である。
アイヌがツングース系の民族から大きな文化的影響を受けたことは、ここからも分かる。
またナナイ人は魚肉を日本人と同じように生で食べる習慣をもつ、数少ない民族でもある。
さらにこれは映画の場面にはないが、原作にはスキーの場面もえがかれている。
アルセーニエフはツングース系のウデヘ人とビキン川の近でイノシシ狩をする。
ビキン川はウスリー川へ注ぎ、そのウスリー川はアムール川につながりオホーツク海へ流れ込む。
その際、ウデヘ人はスキーを使用したという。
他の文献によると、スキーの滑走面には鹿の皮がはられるようだ。
スキーでイノシシを負い回し、疲れて動きが鈍くなったところを槍で仕留めるのだ、
1907年のことのようだ。
以前、大阪外国語大学教授だった松下唯夫という方の、トゥバ族の滑走面に動物の皮をはったスキーについての調査を御案内したことがあった。
トゥバ族はテュルク系ではあるが、スキーにおけるつながりに興味がわく。
かつてバイカル湖周辺からシベリア極東まで数千Kmにわたる、広大な文化圏が存在したのだろうか?
そして、それはアイヌへつながるのか?
礼文島で偶然見た、マッコウクジラの歯で造られた一個の小さな女性像が、40年前に観た映画に自分をいざなってくれた。
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