『猪谷千春の技術の軌跡』 - 【極限の滑り】
- 2015/12/15
- 15:20
【1952年、20歳】
素晴らしいエア・ターンである。
空中だというのに非常に安定している。
余裕もうかがえる。
こんなものどおった事ないよといった感じである。
これは1952年の猪谷千春氏が20歳の時の画像である。
それから、随分日本国内のスキー環境は整備されただろう。
しかし、これだけのスキー技術を持ったスキーヤーが今の日本にどれだけいるだろうか?
一体このようなレベルにどのようにして到達したのだろうか?
父親の猪谷六合雄氏と千春氏のスキー技術の向上の方法論は独特だった。
まずスキー技術をトータルなものとして捉えた。
ゲレンデスキーも山スキーも競技スキーもない。
さらにはアルペンもジャンプもない。
そこにはスキーがあるだけだ。
様々な状況の中で、いかに自在に斜面を滑り降りるかというだけである。
雪が50cm以上も降り積もった雪山の急斜面も自在に滑り降りる。
もしそこに岩の出っ張りといった障害物があったら飛び越す。
樹木があればその間をすり抜ける。
カリカリのアイスバーンのポールで規制されたコースも速く滑ってみせる。
またこの親子はそれぞれの技術の極限を目指した。
実際的な技術としては不要なくらい極端なものが出来るようにした。
そうすると、もし難しい状況になったとしても、その技術を発揮できると考えた。
その結果として1956年のコルティナ・ダンペッツォ・オリンビック回転での銀メダルがあった。
冒頭のエア・ターンの画像の4年後の事である。
トータルなスキー技術の結果としての銀メダルであった。
千春がこのエア・ターンをしている時には、アジア人がアルペンスキーのメダルを取るなど誰も予想していなかった。
他にもそういった画像が残されているので幾つか紹介する。
【1940年、8歳】
膝の前傾の練習。
ブーツの踵はビンディングでスキー板に固定されているという。
まるでひざまずいているかのようである。
ちょっと信じられない。
【1943年、11歳】
前傾の練習。
これは全身での前傾である。
トップだけで滑っているのだろうか?
【1944年、12歳】
ジャンプターンの練習。
これも殆ど曲芸である。
しかしこれだけ跳ね上がるには、この前のスキー板を踏み込む動作がかなりしっかりしていなければならない。
基本技術の確認ともいえる。
【1941年、9歳】
ジャンプの練習。
斜面はかなりの傾斜である。
9歳にして凄い勇気である。
【1950年、18歳】
ジャンプの練習。
千春はアルペンの選手かと思ったら、かなり本格的なジャンプの練習もしていたようである。
これだから、冒頭の画像のエア・ターンなども楽々とこなせたのだろう。
【1945年、14歳】
深雪滑走。
かなりの高速のようである。
ここで培われたバランス感覚は、様々な場面でも生かされた事だろう。
【1951年、19歳】
林間滑走。
バーンの感じから、春先の早朝なのだろう。
体軸の傾きから判断すると、これもかなりの高速のようである。
命懸けの敏捷性のトレーニングである。
全体の状況を把握するトレーニングともなっただろう。
【1943年、11歳】
ゲレンデでのアンギュレーション練習。
このフォームは人から教わったものではない。
猪谷親子が練習の中で編み出したものである。
結果として、ヨーロッパでも同じような事をしていた。
【1942年、10歳】
そしてこのアンギュレーションを競技にも応用した。
千春はここから屈身抜重で切り換えを行なった。
【1950年、18歳】
スキーの最終的な目標は、このような美しいシュプールを雪面に残すことかもしれない。
カービングのスキー板があるはずもない65年も昔のスキー板で、見事な細いシュプールを描いている。
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