日航機墜落事故の謎 - 消えた男の子(反反論編)

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     尾翼喪失k
         
                     【尾翼喪失】


 昨日、私書いたのあるブログを読まれた方から御意見をいただいた。
そのブログは1985年に起こった日航機墜落事故について書いものである。
日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落して乗員乗客合わせて524名中520名が死亡した。
そこでの現場写真の中に奇妙な写真を私は見つけた。
男の子が自衛隊員に抱きかかえられて運ばれている写真である。
生存者は女性4名と発表されている。
男性の生存者がいるはずがない。
従ってこの男の子は死んでいるはずだった。
ところがこの男の子は左足に何か白い布状のものを巻いていた。
私はこれを包帯だと考えた。
死体に包帯を巻くはずはない。
そこで私はその男の子は少なくてもその時点では生きていたはずだと考えた。
また、その写真と連続して撮られた写真もその後見つけた。
そこで、男の子の身体は動いていた。
死後硬直していれば身体は動かない。
また死後硬直以前ならば首が支えられずにグラグラであろう。
従って、その写真が撮られた時点でもその男の子は生きていたと考えた。
下の写真がそれらである。

   男の子q1

   男の子r2

 その私の意見に対して反論をいただいたわけである。
その文章は以下のようになる。

『こんにちは。
あの事故には確かに不可解な点がたくあんあると思います。
しかしこちらのブログを読んでいると、国家権力の隠蔽に違いないという結論有りきで断定しすぎてるのでは、とも感じます。
男の子の包帯の件ですが、現場で巻かれたものとは言い切れないのでは?
元々怪我をしていて巻かれていた包帯だとも考えられるのではないでしょうか。
何となく汚れているようにも見えます。
当時の報道を思い返すと、あの混乱した現場で治療というのも考えにくいですし、自衛隊なら端が取れてヒラヒラするようないい加減な巻き方はしないと思います。
男の子の顔の位置が変わっていた事に関しては、死後硬直が始まる前で、首がガクンと前に倒れたけど、男の子自身の右腕に支えられてるようにも見えます。
あの男の子の身元も、写真の時点で生きていたか亡くなっていたか私達には分かりません。
不可解な事に疑問を持つのは大切ですが、生きてると断定するのはいかがなものでしょう。
いつか真実が明らかにされる日がくるのを私も願っております。』

 そこで私はまず事前に巻かれたのではないかという可能性について考えてみた。
まず、再び写真を見てみる。

  男のう3子

 身体の左半身が特に汚れている。
そして、よく見ると左太ももの裏側にケガをしている。
また、頭の左側にも傷があるようである。
これは墜落した時に左側から地面かなにかの衝撃を受けたのだろう。
左足に靴も靴下もはいてないが、その際の衝撃で弾き飛ばされたのだろう。
そう考えると、その時に他の傷と同時に左足にも傷を負ったと考えても不自然ではない。
また左半身の汚れと比較して,包帯らしきものが汚れているとは思えない。
事前に巻かれていたら、もっと汚れていただろう。
そういった理由で私は墜落後に応急処置として包帯が巻かれた可能性の方が、かなり高いと思う。

 次に混乱の中で自衛隊員が治療などできなかったのではないかという指摘について。
自衛隊員はその装備として、いつも救急包帯を携帯している。
下の画像のものである。

   救急包帯r
      【自衛隊装備品、救急包帯】

 包装された外見は携帯ティッシュのようである。
これは標準装備品なので、自衛隊員は任務の際は常に持ち歩いている。
端末を挟み込んで止めるのが基本なようだ。
この救急包帯は伸縮性があり、繊維同士のからみ合いで止めなくてもそう簡単にはほどけないようである。
これは巻き方がいいかげんなわけではなく、そういった使用法ということのようだ。
今回は外れてしまったようだが、包帯の端末に折り返しが見て取れる。
戦場において、兵士は一人でも自分の身体に包帯を巻かなければならない局面に遭遇する。
鉄砲玉が飛び交うような状況下で、包帯止めは一人では固定しにくい。
逆に男の子にすでに包帯が巻いてあったのなら、通常のやり方として包帯止めが使用されていただろう。

 次に、男の子は死亡していたが、死後硬直以前だったのではないかという指摘について。

    男の子r2

 頭というものは以外に重たいものである。
普段の生活ではあまり気付かない。
この男の子は小学校の3、4年くらいと考えられるが、その年齢の頭の重量は4~5Kg程度となる。
中身が入った一升瓶の重さで一本約2.4Kgである。
頭は一升瓶1本半から2本くらいの重さとなる。
もし死後硬直以前の死体だとすれば、写真のある程度の右手の支えではとても支えきれない。
頭はグラグラに揺れ動くであろう。
これは生存しており、自らの首の筋肉で支えていると考える方が自然である。
勿論死後硬直していれば、あのように抱きかかえること自体不可能である。

 さらに国家権力の隠蔽に違いないという結論有りきから思考が始まっているのでないかという指摘について。

 『アントヌッチ証言』というものがある。
これは米軍に所属していたアントヌッチという軍人が証言したもので、墜落現場にどこよりも一番早く到達した米軍機のクルーの一人である。
その証言によると、8月12日の午後9時20分には自衛隊機が現場に到達している。
日航機の推定墜落時間は18時56分なので、約2時間半後である。 
しかし、防衛庁は翌朝の5時頃まで自衛隊機は到達しなかったという発表をした。
これは『アントヌッチ証言』が公表されるまで、そういうことになっていた。
そのような捏造が可能なのは、政府首脳部しかない。
これは結論ありきから始まってはいない。
事実の認識から始まっている。

 ただ、この男の子が誰かについては、顔がよく見えないので確証はない。
身体のムチムチした感じや、かすかに見える鼻の形から私は吉岡 秀倫君(当時8歳)ではないかと見当をつけただけである。
この子は祖父母とディズニーランドで遊んだ帰りに、妹も一緒に事故にあったようだ。
両親は先に大阪に帰宅しており、生きているという情報を下さった方がいた。

吉岡秀倫type

 
 以上が私のブログへの反論に対する反反論となる。

 それと今回写真を見て改めて気付いたことがある。
男の子の左足の裏の汚れ方である。
土踏まずは汚れていない。
これは、この子が左足の靴や靴下が脱げたはだしの状態で、土の上を歩いたことを表している。
この子は事故後に歩いていたのである。
つまり、この男の子は墜落後生きていたのである。



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