『アイスマン』ー5300年過去からのタイムカプセル
- 2014/03/06
- 20:41

腰の痛みが中々とれないので、スキー仲間に相談したら鍼が良いと言われた。
それで近所の鍼灸治療院に行くことにした。
ベッドの上にうつ伏せになって鍼をうたれている内に『アイスマン』のことを思い出した。
判明している最古の鍼治療の受療者だ。
鍼灸治療は中国が発祥ということになっており、その歴史は約3000年にもなるといわれている。
当然その最古の受療者は中国の人だったと誰しも思うだろう。
ところがその受療者はヨーロッパ人だった。
オーストリアとイタリアの国境付近のアルプスの氷河から発見された。
1991年のことであった。
しかもその受療者を調べてみると約5300年前の古代人だった。
中国の鍼灸の歴史を2000年以上さかのぼる。
氷漬けの冷凍ミイラの状態で発見されたので『アイスマン』と呼ばれるようになった。
『アイスマン』は最初は不明遭難者と思われた。
しかし所持品がどうもおかしい。
斧や弓矢があった。
考古学の専門家が呼ばれ調査が行われた。
そして炭素年代測定の結果、約5300年前の古代人ということが判明した。
46歳前後の男性だった
5300年前というと、最古の文明と言われるメソポタミアでようやくいくつかの都市国家が勃興した段階である。
エジプトではまだ統一王朝が成立していない。
中国にはまだ金属がなかった。
そして研究者達は『アイスマン』の身体に奇妙な模様を発見する。
それは煤を色素とした刺青であった。
×印や複数の平行線が1セットになったものであった。
装飾のための刺青にしては簡素すぎた。
何かの印のようであった。
その後調査はすすみ『アイスマン』はエックス線にかけられた。
その結果、腰の骨にずれが見つかった。
現代の病名にすると『腰椎すべり症』。
『アイスマン』は腰痛に悩んでいたことが推察された。
そしてここで改めて刺青の位置を検討すると、なんと腰痛の治療ツボ(経穴)と多くが一致したのである。
刺青の数15ケ所の内現在のツボと9ケ所がほぼ一致した。
実は中国国内においても時間の経過とともに『経絡』あるいはツボとされる位置は変化している。
5300年という時間、あるいはヨーロッパと中国という距離の中でこれくらいの違いはでるのだろう。
また×印がついていたのは左下肢に1ケ所、右下肢に2ケ所であった。
これらのツボはそれぞれ『崑崙』『中封』『曲泉』と呼ばれ腰痛治療における重要なツボなのだそうである。
その他のツボは複数の平行線が印となっていた。
重要なツボ『要穴』とそうでないツボ『補助穴』が区別されて印が付けられていたのである。
5300年前のヨーロッパには、もうすでにかなり高度なツボ治療の知識があったようである。
ところでツボにはどのような刺激を与えたのだろうか?
刺青をしたということは鍼でもって皮膚を穿孔し色素を沈着させたということである。
まず刺青をすること自体が鍼治療だった。
『アイスマン』の携帯していた斧は銅製だったがその純度は99.7%であった。
高度な冶金技術があった。
銅製の鍼を作るくらいの製造技術はあっただろう。
その鍼で治療もしたのだろうか?
また焚火の燃えカスといった熱でツボを刺激することもできただろう。
『アイスマン』はその身体自体がタイムカプセルである。
5300年前のイタリアアルプス周辺の人類の情報を伝える。
ツボ治療以外でも多くのことが判明している。
消化器の内容物として野生ヤギやウサギの肉と一緒にハーブが見つかっている。
イタリアンハーブである。
また小麦と炭素も見つかっている。
つまりパンを焼いて食べていたということである。
食事は単なる空腹を満足させるエサではなく、美味しく調理していたことが分かる。
食事を文化としていた。
また小麦を栽培していたということなのだから、農耕をしていたことになる。
世界4大文明がまだ確立していない5300年前、辺境と考えられていたこの地域に文明があった。
アトランティスはどうか知らないが、古代について現代の人類はまだまだ分かっていないようである。
『アイスマン』は現在北イタリア、ボルツァーノの南チロル考古学博物館で再び凍結され、保管、展示されている。
消化器の内容物は再び体内に戻された。
今後の人類の科学の進歩により、さらに多くの情報を読み取れるようになるのを期待してのことだそうである。
5300年前のイタリアアルプスから中国を経て日本に入ってきた鍼灸治療を自分が今うけているのに不思議を感じながら、私は鍼を打たれる。
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